Diaryの日記帳

映画、アニメの感想を中心に掲載します。

ひとりはみんなのために

One for all, All for one.

アレクサンドル・デュマ『三銃士』

※注意 この記事には、「天気の子」に関する重大なネタバレが含まれます。











わがままでもいいじゃないか。
僕らが普段気にしている周りと、これからどれだけ一緒にやっていくというのだ。
肩を並べて話して、笑って、寝食を共にしたりするのは、その周り中でどれだけだというのだ。
そのひとたちだけでいいじゃないか。
それ以外はどうでもいいじゃないか。
いっぱいお金があっても、時間があっても、いなかったら困る人たち。
気にかけるのは、そんな人たちだけでいいじゃないか。

自分勝手だと思うかもしれないけれど、それが僕の考え方だ。
もちろん、仕事になると話は別だけど、プライベートはそのくらい思い切ってしまってもいいと考えている。
でなければやってられないから。
気にする「周り」が広くなればなるほど息苦しくなって、やがて窒息死してしまう。

みんなのためではなく、大切な誰かのために生きたい

そんな風に僕は思う。
僕が自分を「僕」と呼称するためには、絶対的に誰かが必要だから。
この文字たちだって、誰の目にも留まらなければ「僕は」だなんて主張することはないのだ。
だから、自分のために生きる、だなんてことは言えない。
僕が名前を呼びたい誰かと、僕の名前を呼んでくれる誰かが、僕にとっての世界であり、それ以外の人たちは、それ以外という形でしか世界に存在しない。



大切な誰かか、人類にとっての最大利益か。

帆高が鳥居を一心不乱に目指していた時、その選択を迫られている意識があったかどうかは分からない。
多分、なかったと思う。
陽菜にもう一度会いたい。
純粋なその思いだけが、彼の足を動かしたんだろう。
その結果、世界はすっかりと姿を変え、空からは絶えず雨が降り続ける。

誰かが犠牲になって世界が救われる

そんな物語よりも、

愛する誰かのために世界をぶっ壊す

方が好きだな。
それは僕の思想に基づいた好みだった。
「宗教」というと難しく感じてしまうけれど、友達との普段の会話でやりとりされるような、好みのアニメや映画、音楽が、その人にとっての宗教なんだろうな、と僕は思う。