Diaryの日記帳

映画、アニメの感想を中心に掲載します。

全然違う! ファイナルファンタジー7 無印とリメイクのセリフを比較してみた (FFVII)

前回は無印のセリフをまとめて見て、気づいたことを上げて見た。

philip-runner.hatenablog.com

リメイクと違うところが盛り沢山で私個人も楽しみながら記事を書いていた。 そこで今回は、「リメイクと違うところ」をより楽しむために、無印のセリフに加えてリメイクのセリフも並べてみた。

壱番魔晄炉爆破作戦

FFVII 無印

バレッド
「行くぞ、新入り!
 オレに続け!」

FFVII R

バレッド
「行くぞ 新入り!」
警備兵
「止まれ!」
警備兵
「何者だ?」
バレッド
「出番だ」
警備兵
「侵入者か」
警備兵
「おとなしくしろ」
クラウド
「笑わせるな」

--- 警備兵を倒し先に進む ---

警備兵
「何事だ?」
警備兵
「おい 止まれ」
ジェシー
「ごくろうさま」
警備兵
「動くな!」
警備兵
「動くと 撃つぞ」
クラウド
「好きにしろ」
警備兵
「まさか ソルジャーか?」
警備兵
「抵抗はやめろ」
ビッグス
「作戦どおり」
ウェッジ
「さすがッスね」
警備兵
「おとなしく したがえ!」
クラウド
「囲まれると面倒だ」

FFVII 無印

ビッグス
「さすが、ソルジャー!
 でもよ、反神羅グループ【アバランチ】に
 ソルジャーが参加するなんてスゲエよな!」
ジェシー
「その話って本当だったの?
 ソルジャーって言ったら
 私たちの敵でしょ?」
「どうして、そのソルジャーが
 私たちアバランチに協力するわけ?」
ビッグス
「早とちりするな、ジェシー
 元、ソルジャーなんだってさ」
「今はもう神羅をやめちまって
 俺たちの仲間ってわけさ」
「まだ名前聞いてなかったよな。
 教えてくれ」
クラウド
「……クラウドだ」
ビッグス
クラウドか、おれは……」
クラウド
「あんたたちの名前なんて興味ないね。
 どうせこの仕事が終わったらお別れだ」
バレッド
「なにやってんだオマエたち!
 固まって行動するなって
 言ってんだろ!」
「ターゲットは壱番魔晄炉。
 魔晄炉前のブリッジに集合だぞ」

バレッド
「元ソルジャー……。
 チッ、信用できねえな」
「【B】を押しながら移動で歩くことができるが、
 今は遅れずについてこい!」

FFVII R

ジェシー
「で ソルジャーがなんだって
 うちらの仲間になるの?
 その人 キャリアを捨てるわけ
 ええと 名前なんだっけ?」
ビッグス
「”元”ソルジャーだとよ
 名前は クラウド・ストライフ
 武装路線で行くとなれば
 プロフェッショナルの参加は不可欠だ
 俺は歓迎するね」
クラウド
「勝手に仲間にするな
 仕事が終われば 他人だ」
ウェッジ
「ただの金目当てなら
 ここまで来ないッスよね
 クラウドさんだって
 星の未来を思う気持ちは オレたちと」
クラウド
「興味ないね」
バレッド
「ウェッジ」
バレッド
「高い金払うんだ
 がっかりさせんじゃねえぞ」

無印とリメイクの違い

クラウド自身が名前を名乗らない

無印だとプレイヤーが主人公の名前を入力し、その名前を主人公が答えるという仕様。 リメイクではクライド・ストライフで固定となっている。 アバランチのメンバー間で事前に情報の共有もされているようで、ジェシーが名前をド忘れしているのをビッグスが補足するという形で主人公の名前はプレイヤーに明かされる。 クラウドが話す際、既に字幕では「クラウド」とはっきり表示されているから作り手側もそれまでに名前を伏せておくつもりはなく、ビッグスと気持ちはおんなじで「知ってるとは思うけど改めて」といった感じでこのようなやりとりを入れたのだろう。 それにしても、本人の目の前であけすけと「名前なんだっけ」と言えるジェシーの大胆さには呆れるというか、なんというか。 実際にされたら「興味ないね」とはっきり言われる以上に、精神的な負担がありそうだ。 まあ、ジェシーらしいといえばジェシーらしい。 f:id:philip_runner:20200615214302p:plain

興味ないものが違う

無印で興味がないのはアバランチのメンバーの名前だった。 しかし、リメイクで興味ないのは星の未来である。 そもそも、リメイクのアバランチのメンバーは名乗ろうとしない。 「クラウド自身が名前を名乗らない」の中で事前に情報の共有がなされているようだと語ったが、クラウドも情報を共有するメンバーの中に入っていたと考えられる。 f:id:philip_runner:20200615214257p:plain

バレッドが怖い

リメイクのバレッドは怖いと感じてしまう。 特に壱番魔晄炉爆破作戦の序盤、正にこの記事で書かれている時は超怖い。 グラフィックが向上しているというのもあるが、無印と比べて圧倒的に口数が少ない。 目や仕草だけで威圧してくる。 PV見てる時もずっと怖いマッチョだと思ってた。 そんなイメージは間も無くぶっ壊されることになるのだが……。 f:id:philip_runner:20200615214251p:plain

まとめ

前回の記事(リンクを貼る)にも書いたが、完全一致しているセリフは一番最初の「行くぞ 新入り」だけであることが分かった。 本当に別モノなのだ。 リメイクのバレッドが怖すぎてちびっちゃったっていう人は、まず無印で恐怖を払拭してからリメイクへ移る……というのもありかもしれない。 f:id:philip_runner:20200615214248p:plain

今回比較するにあたり、どこまでをひとまとまりとしていいかに少しだけ迷った。 リメイクの場合、移動、戦闘中にもセリフが流れるため、それをどこまで扱っていいかも微妙だった。 全て入れてしまうとセリフだけで読むと流れが分からなくなってしまうという理由で、この記事には載せなかったセリフが幾つかある。 無印の場合は、フラグとなる人物だけに話しかけてしまうと、結構な数のセリフを聞き逃してしまうことになる。 今後もこのような記事を継続して掲載していくかもしれないが、その時に「こんなセリフもあるよ!」というのがあれば是非教えていただきたい。

読む!リメイクじゃないファイナルファンタジー7(FFVII)

最近、FFVIIRをプレイしている。 頻繁に連絡をとる仲のよい友達もプレイしていて、ことあるごとにFFVIIの話になるのだが、PS1時代のFFVII、つまりリメイクではないオリジナルのFFVIIをしているその友達からすると、大幅にストーリーが追加されているという。 ツイッター上でも似たような話が時々流れてくる。 FFVIIは1997年に発売されたビデオゲームだ。 いくら有名といっても、そこまで昔のものとなるとプレイしていない人も数多く存在するだろう。 かくいう僕も、プレイしていない人間の一人だ。 リメイクをプレイしていても、それに気づくことはできない。

というわけで、よりリメイクを楽しむために無印FFVIIをプレイしてみることにした。 この記事には、その過程で読んだセリフが記録されている。

壱番魔晄炉爆破作戦

バレッド
「行くぞ、新入り!
 オレに続け!」

ビッグス
「さすが、ソルジャー!
 でもよ、反神羅グループ【アバランチ】に
 ソルジャーが参加するなんてスゲエよな!」
ジェシー
「その話って本当だったの?
 ソルジャーって言ったら
 私たちの敵でしょ?」
「どうして、そのソルジャーが
 私たちアバランチに協力するわけ?」
ビッグス
「早とちりするな、ジェシー
 元、ソルジャーなんだってさ」
「今はもう神羅をやめちまって
 俺たちの仲間ってわけさ」
「まだ名前聞いてなかったよな。
 教えてくれ」
クラウド
「……クラウドだ」
ビッグス
クラウドか、おれは……」
クラウド
「あんたたちの名前なんて興味ないね。
 どうせこの仕事が終わったらお別れだ」
バレッド
「なにやってんだオマエたち!
 固まって行動するなって
 言ってんだろ!」
「ターゲットは壱番魔晄炉。
 魔晄炉前のブリッジに集合だぞ」

バレッド
「元ソルジャー……。
 チッ、信用できねえな」
「【B】を押しながら移動で歩くことができるが、
 今は遅れずについてこい!」

ウェッジ
「俺は脱出口を確保しておくっす!」
「しっかし、この大きな魔晄炉を
 爆破するなんて……みものっすね!」

感想

全然違う

02 ここまでパッと読んだ感じだと分かり辛いと思うが、リメイクと比較するとセリフが全然違う。 ぶっちゃけ同じところの方が少ない。 強いてあげるとすれば、バレッドの「行くぞ、新入り!」くらいではないだろうか。 その後に続く「オレに続け!」すらリメイクには存在しない。

メタ発言

00 「【B】を押しながら移動で歩くことができるが、」とバレッドが言う、つまりゲームの操作方法をゲーム中に登場するキャラクターが説明する、ということは無印特有といえる。 リメイクだとチュートリアルが表示される。 声のないゲームだと違和感なく受け入れることができるが、フルボイスでこれをされたら流石に萎えるかも。

名前、変更できるんだ

01 ビッグスに名前を聞かれて答えるクラウド。 しかしこれ、僕がクラウドって入力したからそのように答えているだけで、好きなように変更できるのだ。 FFVIIの主人公といえばクラウド!というイメージが強かったからこれは驚き。 僕は今まで、FF零式FFXIIIFFXVメビウスFFをプレイしたことがある。 その中で主人公の名前を変更できたのは「メビウスFF」のみ。 だから、ファイナルファンタジーの主人公の名前は固定されているというイメージも持っていたのだ。 また、バレッドの名前も変更することができる。

まとめ

まだまだ序盤しかプレイしていないが、感じたことをひとことにまとめると「無印とリメイクは別物」になる。 なにもかもが異なるのだ。 一緒であるものをあげるとすれば、登場人物くらいだろうか。 リメイクでFFVIIの世界にどっぷりハマってしまったという方は、これを機に無印をプレイしてみてもいいかもしれない。 きっと、リメイクの中で登場人物たちが見せた顔とは、別の一面に触れることができるだろう。

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ノートルダムの鐘「さかさま祭りを知ってるか?」

でも、遠坂さんも寝過ごすことあるんですね。

奈須きのこFate/stay night




ディズニーってこういうの作るんだ。
「南部の唄」とか「空軍力の勝利」なんてものを作っていた時期もあったと知っている今の僕にとっては、そんなに驚くようなことではないけれど。
陸上の授業が終わって体育倉庫に学校の備品であるランシューを返しに行くと、クラスの優等生が高いところに置かれているランシューの収納ケースに届かなくて、うーん、うーんと背伸びをしている。
そんな場面を目撃してしまった感覚。
ノートルダムの鐘」という作品の存在を知ったのは、高校生の頃だったと思う。
ディズニーの都市伝説とか調べていて、いろいろな記事を渡り歩いているうちに遭遇したのだ。

生まれも育ちも容姿にも恵まれず、しまいには物語上で恋に落ちたヒロインとも結ばれない。

それだけでレンタル屋に足を向ける理由としては充分だった。
見た当時どんなことを思ったかはまるで覚えていない。
しかし、お祭りのシーンが強く印象に残っていて「トプシーターヴィーって知ってる?醜いヤツが王様らしいよ」と友人に言っていたことは覚えている。
そんな痛いエピソードつきの映画「ノートルダムの鐘」を最近見直した。




三体の石像

この映画には個性的な三体の石像が登場する。

温厚かつ涙もろいココリコ田中似のヴィクトル。

小さくて太っちょというヴィクトルとは真逆の体型で、ひょうきんな性格のユーゴ。

しっかり者で、三体の石像のまとめ役であるラヴァーン。

ヴィクトルとユーゴという命名は、レミゼラブルでも有名な原作者のヴィクトル・ユゴーに由来する。
この三体の石像がいることで、映画はどうにか明るさを保つことができている。
いなかったらダメというわけではない。
ただディズニー映画という子供も楽しめるコンテンツとしては、どうなのだろうと感じてしまう。
恐らく映画を見ている子供は、寝るか、泣くか、別の部屋に行ってYouTubeを見出すのではないだろうか。
始まってしばらくは歌っているシーンが続くからまだいい。
しかし、その歌ですら内容は暗い。

カジモドがフロローの手に渡るまでの経緯を、クロパンがパリの子供たちに歌に乗せて語りかける「ノートルダムの鐘」。

ノートルダムの鐘

ノートルダムの鐘

  • 光枝明彦, 佐川守正 & 村俊英
  • サウンドトラック
  • ¥255
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いつも見下ろしているだけの世界への思いをカジモドが歌う「僕の願い」。
僕の願い

僕の願い

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エトセトラ。

それらは壮大だけど、ポップな感じは一切ない。
カジモドと似た経歴を持つラプンツェルとは比べ物にならないほどに。

「トプシーターヴィー」は明るいけれど、その明るさは王様として選ばれたカジモドの心中とは乖離している。
そのコントラストを見せつけられた視聴者は、高揚している自分の気持ちにどこか罪悪感を抱くことになる。
トプシー・ターヴィー

トプシー・ターヴィー

music.apple.com

そんな雰囲気の中で、三体の石像は場面を明るくするのに大きく貢献している。
お祭りに行きたそうなカジモドにちょっとだけ大聖堂を抜け出すことを提案し、カジモドがエスメラルダに追い回されていたら「色男」とおちょくり、パリの街を包んでいる炎でウインナーを焼く。

ディズニー映画では、主要人物と可愛らしい何かが近くにいることが多い。
ラプンツェルパスカル
アラジンのアブー。
アナ雪のオラフ。
画面に映るだけで暗いシーンを明るくすることのできる魔法のマスコット。
それがノートルダムの鐘では、ヴィクトル、ユーゴ、ラヴァーンなのだ。

石像たちがいなかったら、燃えるパリはもっと恐ろしいものとして感じられただろう。


「僕の願い」と「陽射しの中へ」

僕はノートルダムの鐘の舞台版を二回観たことがある。
その結果、映画版を観ると多少の物足りなさを感じるようになってしまった。
曲自体の数が少ないというのもあるし、同じ曲でも短かったりする。
加えて歌詞も違うから、ちょっと混乱する。
来るぞ!と思った言葉が来ない。
アナ雪でエルサが「ありのままで」を全然違う歌詞で歌っているのを想像してみて欲しい。
翻訳の違いによるものだから、ニュアンスは大体一緒だ。
ただ舞台版の方が語感はいいように感じる。
映画版は若干字余り感がある。
その違いを「Out There」という曲で見ていく。

映画版「僕の願い」:
youtu.be

舞台版「陽射しの中へ」:
youtu.be

僕は断然舞台版の方が好き。
まず映画版は曲名からして弱い。
「僕の願い」という曲名を、僕はよく忘れてしまう。
舞台版の「陽射しの中へ」という曲名を忘れたことは一度もないのに。
この差は何によって生じているのか。
歌詞の中で曲名が使われているかどうかに僕はあると思う。
「僕の願い」には、歌詞の中にその曲名が一切登場しない。
それに対して「陽射しの中へ」ではその言葉が二度も登場する。
加えて、同じメロディの箇所で登場するためより印象は強い。
端的に言うと、映画版の歌詞でいう「愛してくれるなら」「もう何もいらない」が「陽射しの中へ」に置き換わる。
映画版を観たことがある方はお気づきかと思うが、これは「Out There」で一番盛り上がるところだ。

カジモドが一人で歌う前に、フロローとの掛け合いがあるのだが、それも舞台版の方が僕は好きだ。

映画版「僕の願い」

カジモド:よくしてくださっているのに……お許しを。
フロロー:よろしい。忘れてはならんぞ、ここだけが安全なんだ

舞台版「陽射しの中へ」

フロロー:ここだけが安全な聖域、お前のサンクチュアリだ。
カジモド:僕の、サンクチュアリ……。

「聖域」はこの物語において重要な言葉だ。
大聖堂のてっぺんで叫ぶわけだし。
「Out There」というノートルダムの鐘を代表する曲の中で、その言葉が登場する方が好ましいように僕は感じる。
それに、翻訳前の原語版でも「sanctuary」という言葉は使われている。

言語版「Out There」

フロロー:Remember, Quasimodo. This is your sanctuary
カジモド:My sanctuary


言語版に忠実に行くなら「聖域」と訳すべきであろう。
「Out There」以外の曲もそういったことがよく考慮されているから、思わず口ずさむとしたら僕は舞台版の方が自然と出てしまう。
映画版か舞台版のどちらか一方しか聴いたことがないという人は、これを機に聴き比べをしてみたら面白いかもしれない。
Apple Music に登録している方は全て聴くことが可能だ。

映画版:

music.apple.com

舞台版:

music.apple.com

原語版:

music.apple.com




ちょっと、疲れた

ディズニー映画に登場する悪役は人気が高い。
「ディズニー・ヴィランズ」というブランドまで存在していて商品展開までされちゃうほどに。
アラジンのジャファーが僕は一番だが、ノートルダムの鐘に登場するフロローもかなり好きな方に入る。
安心して憎めるし、そうかと思えば可愛げもある。
印象的なのは「罪の炎」を熱唱した翌朝、頭を抱えながらに馬車の荷台から顔を出すシーン。

フィーバス:おはようございます。……ご気分は?
フロロー:……ちょっと、疲れた。
フィーバス:そうですか。

間抜けだ。
ジャファーの「ないーーーーー!!」に引けを取らない位好き。
ディズニーのヴィランズはやっぱこうでなければ。

感染したいあなたに贈る、光り輝く金色のバット

音は意味をバイパスすることができる

伊藤計劃虐殺器官




疫病の流行に伴う流言が急速かつ大量に広がって社会に混乱をもたらす状況のことを、「インフォデミック」という。
最初に用いたのはWHOらしい。
このような言葉が生まれたという事実を受けて思うことは、言葉もまた病原菌と同じように感染するということ。
それをテーマに記事を書いている人を最近見かけた。
「情報というウィルス」に抵抗するために「積読」が重要な理由(永田 希) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)



フィクションの分野でも「感染する言葉」をテーマにしたものは存在する。
記事の中で触れられている伊藤計劃さんの小説「虐殺器官」もそのような作品の一つだ。
僕の大好きな作品であり、読む前と後で考え方を大きく変えられた。
いわばマイバイブル。
しかし、この場で触れたいのは別の作品。



今敏監督の生み出したアニメーション、その名も「妄想代理人」。
キャッチコピーは「人々の内側で蠢く不安と弱さが最大限に増幅されたとき、少年バットは現れる。」。







今敏監督が何者なのかいまいちピンときていない人には、「パプリカ」を作った人って言えば伝わるかもしれない。
あ、米津玄師は関係ありませんよ。



2004年に作られたこの作品を、当時年齢が一桁だった僕はリアルタイムで見ていない。
初めて見たのは、高校生の時だったと思う。
今よりもフィクションというものに真剣に向き合おうとする姿勢のなかった男子高校生のDiaryは「よくわからんが凄かった」という小並感しか出なかったのか、それともただ単に忘れただけなのか、数年経った今、物語のオチを思い出そうとしてもぼやっとした感覚が頭を占めるだけである。
そのような事情もあり、dアニメストアで最近一気見したのだった。



言葉の伝染によってめちゃくちゃにされる世界といった時、このブログを読んでいるみなさんはそれを想像することができるだろうか。



おそらく、容易くできることだろう。
なぜって正に今の状況がそうだから。
妄想代理人は、それを肌で感じることができる。
その生々しさは体験しているといっても過言ではない。
全13話で構成されているが、話の大筋はそんな長い尺を使わずに語ることができる内容のものだ。
冗長過ぎるとさえ感じる人もいるかもしれない。
でも、僕は敢えてそうしたのだと感じる。
黄金バット」という病が、日本中を蝕んでいく様子を、とんでもなく長い時間をかけて見せつけられる。
気がついた時には既に遅く、フィクションに触れていただけであるはずの視聴者も、「黄金バット」という病に取り憑かれている。

さらば、わたしよ

要らなくなったところで次の私を探すんでしょう

back number『助演女優症2』

「私」とは何なのか。
「私」はどこにいるのか。
それは『私は』と語るその人がいつも持っているように思えて、案外そうでもない。
現に、今ここで語っている「私」を、僕は持っていない。
かつての僕の所有物。
今はエディタの所有物。
それが「私」。
今の僕には、その「私」を別個体として撫でることだってできるのだ。

「私らの映画は始まりやしない。」

さみしさの代理人である中年男は、そう嘆いていた。

映画が、本が、物語が。
それらが始まらないと嘆くくらいなら、自らの手で始めてしまえばいい。
この日記には、そんな祈りも含まれている。
ほら、こうすれば僕は、「私」だらけの世界から抜け出すことができる。
みんながみんな、代理人のこの世界から。
今の僕は、僕の代理人だ。
それと同時に誰かの代理人でもありたい。
僕は何の代理人なんだろう。
わからない。
ちっとも。
でも、何かの代理人でなければ、自分に価値が見出せない。
だから、ここでよく分からない言葉を生成し続けている僕も、何かの代理人であれたら、そんな風に願ってしまう。

これは「私」へのお別れの手紙。
入力されたその瞬間から「私」は僕のものではなくなる。
テキストエディタと、そしてこれを読むあなたのもの。
叩くなり、嗤うなり、好きにしてくれて構わない。
そうなれば僕は、道化の代理人になれるから。

紅茶とマドレーヌ

きみはこう思うことはないか、言葉になんて意味はない、とね

伊藤計劃虐殺器官

高校生の頃気になっていた名前も知らないあの娘に、同窓会で再会する。
偶然近くの席に座った僕は、彼女とのぎこちない会話の中で、小学校も同じだったという驚愕の事実を知る。
スマホに卒業アルバムの写真が入っているというので見せてもらう。
僕は必然的に体を寄せる形になる。
急に顔が熱くなったのは、きっとお酒が今になって体に回り始めたからだろう。

「一緒に帰ってた時期があったんだけど、
覚えてないよね......」

そんなことはなかった。
覚えている。
彼女の艶かしい指に包まれたスマホに映し出されたその娘のことが、僕は大好きだった。
どうして忘れてしまっていたんだろう。
不思議でならないけれど、不安そうな顔をしている彼女に返事をすることを、今は何よりも優先しなければならない。
何て言えばいいんだろう。
忘れていたことに対する罪の思いもある。
でも、今はそれよりも言いたいことがある。
気がつけば、それは僕の口から溢れていた。

「久しぶりだね。
今もあの妙な食べ方は続けているのかな。」

その言葉を受けて、彼女がどんな顔をしたのか僕は知らない。
だってこれは、何もかも妄想だから。


そんなドラマチックな出会い、ありっこないよって思っていたけれど、最近似たようなことがたて続けに二回も起きたので、世の中何が起こるかわからないなとつくづく思う。
胸に渦巻くこの思いを爆発させてしまいたいけれど、それはまだ早すぎるようにも思える。
せっかく爆発させるなら、どでかく行きたいってのが男ってものじゃないか。
だから、今はまだダメだ。
もう少し火薬の量を増やす必要があるし、その予定もある。
それにタイミングも大事だ。
昼間の爆発よりも、夜の方が目立つに決まっている。
ここまで言っておいておかしな話ではあるけれど、届かなくてもいいとも思っている。
「思いを爆発させたい」と思えるような出会いがあった。
そのエピソード自体が、かけがえのない宝物。
でも、書けば書くほど居てもたってもいられなくなってしまうから、綺麗事でしかないような気がしてきた。

偶然、このブログを執筆中、件の人物の配信が始まったので、ここに記載してしまうことにする。


学生の頃「again & again 」帰りの電車でよく聴いてました。
大好きな曲だったけど、あなたの書いた曲だって知りませんでした。
今も昔も、あなたのことを愛しています。

前にはなかった何かよ

僕は、愛情に飢えている。
素朴な愛の言葉が欲しい。
ハムレット、お前を好きだ!と大声で、きっぱり言ってくれる人がないものか。

太宰治『新ハムレット

ウィリアム・シャープの『水晶の森』を朗読するベルと、怪我をした足を引きずりながら歩く野獣。
魔女の呪いによってかつての美しさを失ってしまった庭を、二人は散歩していた。

Each branch, each twig
each blade of grass seems clad miraculously
with glass.

野獣は足を止め、辺りを見回す。
ベルもそれに倣い、野獣の視線の先を追う。
目の前には、枝まで霜に覆われた木々に、凍った湖が広がっている。
それはまるで、ガラスで出来ているかのように美しかった。
そう、美しいのだ。
ベルと一緒にいると、忌々しく感じていた魔女の呪いも、途端に姿を変えてしまう。
これは一体、どういうことなんだろう。


美女と野獣は夜の場面が多いから視聴する上でのリスクが高い。
そのリスクとは、ニヤニヤしている私の顔が液晶に反射して映り込んでしまうリスクだ。
偏光タイプで良かったとつくづく思う。
みなさんも、美女と野獣を観るときは、部屋を明るくしてテレビから離れて偏光タイプのディスプレイで観てね。

散歩のシーンでドキドキしている自分に気がつくと、僕ってラブロマンス好きなんだなと改めて認識させられる。
長い間、恋をしていない。
興味ない、二次元があれば良い、だなんて口では言っているけれど、果たして本音はどうなのかしら。
恋の予感が全くといってないから「どうなのかしら」のその先は正直いってないのだけれど。
いつか分かる日がやってくるはず。
とりあえず、今はそう信じて生きていくしかない。