Diaryの日記帳

映画、アニメの感想を中心に掲載します。

ハハッ!

エリック・ホッファは港湾労働者でしたよ。
あなたの好きなフランツ・カフカは小役人だった。
職業に貴賎なし、と言いますが、同時に思索は職業を選ばないのです

伊藤計劃虐殺器官

あれはいつだったか。
確か小学生の頃の話だ。
僕は初めて東京に行くことになった。
どういう経緯でそういうことになったかは覚えていない。
ディズニーシーが丁度5周年の時だった。
何かのグッズにそう書かれていたから覚えている。
ディズニーランドの35周年の時の盛り上がりを考えると、至るところに「5」という数字が掲げられていたはずなのに。
10年以上も前の話だから覚えていなくても仕方ないんだけど、書く前はもっと色々と覚えているつもりでいたから、今こうして書いている間にも、僕の感情を「憂鬱」の二文字が満たしていく。



というわけで、松岡圭介さんの『ミッキーマウスの憂鬱』を読み終えました。

21歳の後藤大輔は、ディズニーランドの準社員として働くことになる。
夢溢れる職場、と思いきや、そこにあったのは、立場による軋轢やエゴに満ち溢れた、どうしようもないほどの現実世界。
そんな世界が、ある一つの出来事によって大きく揺るがされる。



準社員
つまり派遣。
僕も似たような境遇で働いているから、作品中に登場する準社員の気持ちが、なんとなく分かる気がする。

作品中にはビックリするほどクズな正社員の方々が登場する。
悪いことは全て準社員のせいにして、都合の良いことは正社員の手柄にすり替えようとする。
フィクションによくありがちな、上層部が腐っていて、それにより主人公サイドが様々な被害を受けるパターン。
でも、こういう場合、上層部のてっぺんに近いほんの一握りの人たちは、大体いい人たち。
それは、ミッキーマウスの憂鬱という作品の中でも同じであり、救いだった。

準社員として、常につきまとう劣等感。
うちの部署に差別はないけれど、その思いを拭い去ることはできない。
可哀想だとは思わない。
僕に学歴はないし、頭の回転も遅いし、努力も足りていない。
コミュニケーション能力だって皆無だ。

これからも、僕は劣等感から逃れることはできない。
今の会社にいる限り、それはずっとつきまとう。
でも、差別することなく、時に叱りながらも、優しく教えてくれるプロパーでいっぱいのこの環境って、実はとても恵まれているのではないだろうか。
ネットで、屈辱的な扱いを受けたという話をちょくちょく聞くことがある。
それが真実かは知らないけれど、嘘と言い切ることもできない。
そんな世界があっても全然不思議だとは思わないし、現に、自分より立場の低い人がいたらいじめずにはいられないクズを、僕は何人も見てきた。

この作品を読んで、こんなのありえっこないと思った方もいるかもしれない。
僕がもし、差別されるような環境にいたら、綺麗事で済ませてるんじゃねぇと憤るか、こんな職場が良かったなと羨望するかのどちらかだろう。
恵まれた環境にいる僕は何を思うかというと、ただ、良かったと思うだけ、では終わらすまい。
これだけの人数がいて、今のような素晴らしい環境にあるということは、奇跡に近いことだと私は思うのだ。

人間関係っていうのは、割とあっさり崩れる。
ちょっとした摩擦で傷を負い、気がつけば燃え尽きた山に残った木々のように、ボロボロになる。
それはまだマシな方で、ただの灰と化していることだってある。
この緑色の山は、いつからあるのだろう。 枯らしたくない。
この世界を壊したくない。
若木の僕は、まだそこまでの影響力を持ってないけれど、能力に関係なく、時は残酷にも僕を一本の立派な木に仕上げようとしている。

綺麗な木になりたい

いや、ならないと。
なりたいって言うほど、僕が若木でなくなる日は遠くない。